1ニーニーφ ★2019/04/04(木) 10:52:22.20ID:yaaIC7qm9
平成最後のセンバツで、元年の優勝に縁ある師弟が新たな歴史を紡いだ。
東邦を率いたのは、当時コーチだった森田泰弘監督(60)。
投打に活躍しチームをけん引したのは、当時の野球部員の息子である石川昂弥選手(三年)だった。
東邦を率いたのは、当時コーチだった森田泰弘監督(60)。
投打に活躍しチームをけん引したのは、当時の野球部員の息子である石川昂弥選手(三年)だった。
最後の打者を打ち取った瞬間、石川選手は右腕を突き上げた。
大歓声の中、マウンドで喜び合う選手たち。「やっと優勝できた」。
森田監督は、グラウンドで喜びをかみ締めた。
森田監督は三十年前の優勝時、コーチとしてバックネット裏で感涙した。
十五年後の二〇〇四年には、恩師の阪口慶三さん(74)=現大垣日大監督=から監督を引き継ぎ
「もう一度優勝を」と心に決めた。
昨年まで甲子園出場は春夏通算計六回。しかし、いずれも頂点には届かなかった。
〇九年からは五年連続で出場を逃し「二度と行けないのかな」と感じたことも。
初志とは裏腹に、自ら「優勝」の二文字を公言したことはなかった。
本気で全国制覇の夢を託したのが、原点とも言える元年優勝時の部員尋貴(ひろたか)さん(47)の長男石川選手だった。
中学二年生の頃に出会い「一流選手になる素質がある」とほれ込んだ。
入学後、妻順子さん(41)が営む焼き肉店が入る建物の一室に石川選手ら三人を住まわせ、野球に専念する環境を整えた。
期待通り、石川選手は新チームで主将兼エースを担うまでに成長。
センバツ開幕を控えた二月、森田監督は初めて宣言した。「今年は絶対に優勝します」
満を持して迎えたこの日。石川選手は2本塁打を放ち、投げては3安打完封と優勝の原動力に。
試合後、「監督の下で学びたいと東邦に来た」と胸を張った。
四日に還暦六十歳の誕生日を迎える森田監督は、本年度限りで退任の決意を固めている。
「最後の年に石川に巡り合えた」。愛弟子に感謝の言葉をそっと送った。
https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019040402000083.html
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